試験の思い出
ふと1アマっていま何人ぐらいいるのかと気になり、7/8 会社からの帰り道に電車の中で暇だったので、
スマホで色々見ていたら、偶然にもhamlife.jpに同日付けで
「<1アマは全体の1%以下、4アマは約90%…>総務省、資格別「アマチュア無線従事者資格者数の推移」を公表」
という記事が出ているのを見つけました。
それによると、2015年度末で31,544人おり、毎年600〜800人程度の割合で増えているようです。
wikipediaには平成2年度からのデータが掲載されていますが、
通信術が省略されたり、学科試験がマークシートに変わったり、試験が簡単になった?と言われても、
取得者数は急激に増加はしていないのは意外に感じました。
学科試験の内容が、相当難しくなっているのでしょうか。
そうこう考えているうちに、過去に自分が試験を受けてきた思い出などが蘇ってきました。
過去1アマを含め4回試験を受けてきましたが、遠い昔のことながらそれぞれの回で何となく印象に残っています。
◆◆電話級アマチュア無線技士、電信級アマチュア無線技士の受験◆◆
電話級、電信級は同時に、1979年の10月期に受けて取得しました。
当時の電信級は、電信しか出られませんでしたので、電話に出るには電話級も取得する必要がありました。
電信級しか受からなかったらどうしようなんて、心配をしながら受験しました。
当時は高校生だったので、受験の日は学校を早退して関西テレビ電気専門学校へ向かいました。
通信術(受信)は毎分25字1分間の試験ですが、ゆるーい欧文で、"TECHNICAL CHARACTERISTIC"と
流れてきました。拍子抜けして、文字間なのかスペースなのか分からないぐらい遅かったです。
もちろん解答用紙には、TECHNICAL CHARACTERISTICと記入しました。
友人と一緒に受験したのですが、その当時characteristic(特性)という単語を知らなかったので、
TECHNICAL CHARACTER IS TIC
ん?技術の性格は顔面けいれん??それが答えだったのかな、とか試験の帰り道で話していたのを
良く覚えています。
◆◆第二級アマチュア無線技士の受験◆◆
2アマは1980年の10月期に受けて取得しました。
同じく休み期間では無い平日でしたので、高校を早退して関西テレビ電気専門学校へ向かいました。
学科試験は記述式で、無線工学、法規とも10問ずつだったと思います。
学科試験は9割程度記入したように思います。
通信術の受信は、欧文で毎分45文字2分間の試験でしたが、やたら"CHERRY BLOSSOM"という
単語が出てきた記憶があります。
毎分45字はちょうどよいスピードだったように思います。
送信の方は1回のミスも無く電鍵を叩けたと思っています。
◆◆第一級アマチュア無線技士の受験◆◆
1アマは1984年の4月期に受けて取得しました。
1アマは和文電信があってハードルが高く、しばらく取る必要も無いと半ば諦め気味でした。
2アマ取得後1982年に100W局にパワーアップしたのですが、当時は10Wを超える局免許は電波監理局の
検査を受ける必要がありました。そのため、100W局は割と少なく多少優越感を味わえました。
しかし、苦労して100W局を下ろしたにも関わらず、2年後には100WまでのJARL保証認定制度が始まり、
一気に雑魚化してしまうことになってしまいました。
それが1アマ受験を決意させるきっかけになり、苦手な和文も苦労しながら覚えました。
学科試験は記述式、無線工学、法規とも5問ずつです。
当日の試験では、計算で平方根を求める問題がありました。計算尺は持ち込んでいなかったので、
急遽開平方を筆算で行いました。何とか計算方法を思い出すことができて、事なきを得ました。
法規の問題では、無線工学的な問題が出たので、ラッキーに感じたことを覚えています。
和文の受信は毎分50文字3分間の試験でしたが、「マルコーニ」がどうのこうのという
内容だったように記憶しています。
欧文は毎分60文字3分間の試験でしたが、"455KHZ"という単語が何回か出てきて、
数字が多く含まれる文章だなという記憶があります。
筆記体で書き取る練習もした記憶があります。
自信は半々ぐらいでしたが、何とか1回で合格することができました。
その後、1986年に500W局にパワーアップさせました。
よくよく考えると、他人との比較で優位性を感じることによって満足を得るという、とてもアホくさいことに
かなりエネルギーを注いできたように思います。
それから30年以上、その状態に甘んじており進歩がありません。
メモリー機能劣化を最小限に抑えるべく、自己研鑽も必要だと感じています。
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